ワニノ到着2013/06/01

山越え
無事にワニノについた。乗船から到着時の手続きが大変だった。

コルサコフ入港時税関で会った二人のドイツ人とホルムスクの船会社で一緒になった。彼らもモンゴル中央アジアを経由してドイツのミュンヘンまで行くようだ。世間は狭いものだ。日本だけは安心して旅行できたけど、これから行く地域は大変だと言っていた。


複雑な手続きも親切なロシア人に助けられ無事にできた。

今日は、第一の難関である。私のバイクの航続距離と同じ無給油路線を踏破する必要がある。

まずは、リドガ(アムール川沿いの町)にたどり着かなくてはいけない。

追伸
リドガに到着した。途中の工事中の道路が大変だった。二度とこんな道路は通りたくない心境である。

ただし、舗装道路のところは最高のドライブウェイである。
のどが渇いた、安ホテルでウラジオから来た船員の一団と飲んだ。お互い船関係であるので、つたない英語でも話が通じる。

写真はリドガでハバロフスクへの道路の交差点である。正面にアムール川があるが、写真には出ていない。大きな川で向こう岸が霞んでみえた。蚊が多くて、立ち止まると数十匹の蚊に襲われる。

ハバロフスクに着きました2013/06/02

ハバロフスクについた。本日はアムール川に沿った道路を約200km南下するだけであった。現在アムール川は増水期なのか、道路の両側まで水が押し寄せてきている。どこからどこまでが川であるのか判然としない。道路の両側が見渡す限り水、水である。

ハバロフスクの北約80kmのところにナナイ族の村があり立ち寄ってきた。小さな村で戸数10戸程度か?下はアムール川が流れtりる。

木の細工、魚の皮をなめしたもので作った製品を販売している。

ナナイ族はアムール川の魚の採取などで生計を立てているようだ。道の傍らで魚の燻製などを売っていた。ナナイ族はアイヌの方々と祖先を同じにする民族だそうだ。

ハバロフスク市街に入る途中に抑留中に亡くなった日本人捕虜の墓がある。せっかくだから花を買ってお祈りしてきた。
墓の清掃も行き届いていない。何とか管理の方法がないか考えなくてはいけないのでは?

明日からの行程は未舗装道路が多い、未舗装道路には苦労した。
あんな大変な目にあいたくない。少し考えなくてはいけない。
まずは、様子を見てからにしよう。

N48-30-12.8 E135-06-46.1

ユダヤ自治州2013/06/03

ユダヤ共和国
 ハバロフスクを出てアムール川を渡る。60kmで走ると4分半で渡る。橋の手前には警察の検問所、橋の途中にも警官の姿が見える。

中国と川を境に国境を接しており、密輸の監視をやっているのだろう。
大きな川には監視所があるようだ。橋を渡る様子をビデオに撮ったが、検問に引っかかってはいけないと思い、撮影後すぐにビデオをバイクから取り外した。

道路番号はM58号である。Mはモスクワ路線を示している。この道路を走ればモスクワに行くということだろう。

橋を渡りきると、そこはユダヤ自治州である。昔ユダヤ嫌いのスターリンがソ連のユダヤ人を自冶州に送り込んで作らせた州である。

20数年前の改革以来ユダヤ人はイスラエルに移住、または都市部にでていったため、ユダヤ人の数は減少しているとのこと。

ビロビジャンは州の州都である。立ち寄りたかったが、幹線道路から未舗装道路で5km入りこまなくてはならずあきらめた。

写真はユダヤ自冶州を走るシベリア鉄道の写真である。15分に一本の割合で上下貨物列車がはしる。相当な貨物量である。列車の長さも日本JRの4倍くらいある。

今までは、道路の両側に原生林がある風景ばかりであったが、開けた土地に出たので、写真をとった。
両側は湿地帯である。釧路平原みたいな湿原があちこちに見受けられる。

道は大部分舗装されていたが、途中数か所未舗装があり、苦労した。
ハバロフスクから北西に500km来たが、途中宿が見つからず、長距離を走ってしまった。

次の目標チタまで1600km、4日の行程である。

道が舗装されていることを祈りたい。

N49-47-48.0 E129-54-31.9

走り続けて2013/06/04

牧場
今日も、走り続けて約400km走った。
途中未舗装のところがあり、苦労した。北上するにつれ、原生林に代わり耕作地が散見される。360度見渡す限り地平線である。

大型機械で耕していたが、耕す面積が1km×1kmくらいある。
何を作るのかしらないが、日本の農業は太刀打ちできない感じがする。問題は輸送であろう。

写真は牧場で牛を放牧している様子を写したものである。
約200頭いただろうか、肉牛かもしれない。

北緯50度ラインを超えたようだ。

N52-37-45.5 E126-52-31.2

大変な一日2013/06/05

約500km走った。
ホテルが見つからず、やっと見つけたガソリンスタンドのおやじに教えてもらった幹線道路から2km離れた小さな駅前のホテルにたどり着いた。

日本人を初めて見るらしく、ホテルの小さな孫娘が様子を見に来る。

宿の酔っ払いおやじにウォッカをつきあわっされる、7つのベッドがある大部屋でウラジオから来た老夫婦と息子一家と相部屋だ。息子が英語ができるので意思の疎通ができる。
母親と息子と私の3人でシャンパンを飲んだ。母親が私に働いているのかと聞くので年金暮らしと答えると驚いていた。ロシアでは年金暮らしはここのおやじみたいに仲間とウォッカを飲んでいるのがふつうなんだろう。

このウラジオ一家には食事を用意してくれたり、何かとお世話になった。

大変な一日であった。駅名はアマズールという・
ハバロフスクから北西に北上し西に進路を変え、西南に進路を変えるあたりである。本日は雨模様である。ゆっくり走ろう。

N53-51-44.5 E120-52-42.8