キャフタ到着2013/06/10

キャフタの教会
朝はオルガおばさんの手作りの朝食だった。彼女はロシア人であるから、ロシア語は堪能である。ただし、外国のお客には英語がだめならフランス語という考えであろう。

今朝はオルガおばさんと二人だけの朝食であった。彼女も今朝は緊張が解けたのかロシア語であった。

カシオワードの辞書を片手にお話しをした。彼女の旦那はオートバイ事故で亡くなったこと。主人は大学の教授であったこと、子供は大きくなって小さな孫がいることなどである。私の仕事は?と聞かれたので、年金暮らしだと答えた。彼女も年金暮らしだそうだ。

ロシアの裕福な家庭がどのようなものか理解できた。
鉄の扉がアパートの入口と家の玄関についている。暗証番号を入力すると電話につながり、電話を操作するとアパートの入口扉が開く構造だ。

裕福な家庭は厳重なセキュリティシステムに守られて暮らしている。
ホームステイは年金を補うものであろう。

彼女の部屋の調度品は立派なものである。トイレットペーパーは一般市民が使うゴワゴワのものでなく、柔らかいものであった。

彼女は世界中を旅行したと言っていた。浅草を知っているかと聞くともちろん知っているとのこと。つい話が弾み彼女が東京で買った帽子をもう一つ欲しいとの話、つい、探してみましょうと話してしまった。

ロシアの人は親切だ。つい、情けにほだされてしまう。
帰ったら横山町で探さねばいけない。

キャフタへの道は単純であったが道路修理中の未舗装道路で砂の塊に乗り上げ、バイクを転倒させてしまった。

右足が若干痛い。

チタでオイル交換をしたが、スズキの純正のオイルは入手出来ず、近い規格のものを選んだ。
たぶん、オイルが原因で、クラッチの中立が入らなくなった。

ウランバートルでオイルが入手できるか、探してみたい。チタの整備屋のお兄さんが言っていたが、モスクワは部品入手がしやすいが、地方では無理だとのこと。期待はできないかもしれない。

ワニノから百数十キロの未舗装道路で運転技術の未熟さ、バイクの性能の不足をいやというほど感じた。

モンゴルの1800kmの未舗装道路踏破と約10本の川渡りは危険極まりない。

”危険は避けよ、困難は克服せよ”がモットーのバイク旅である。
ウランバートルで2日ほど過ごしたら、ロシアに戻るつもりである。

ウラジミール君がいうバイカル湖のオームリ(ます科の魚)の燻製はうまいという話に乗ろう。

というわけで、一週間ほどでロシアに戻ります。

通信事情が悪いので、ブログも更新できないかもね。

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