回想(トゥルクへ)2013/08/26

7月6日
フィンランドの西部の街トゥルクへ向かう。朝ホテルの部屋に新聞が入っていた。
久しぶりの日本語だ。
新聞

午後トゥルクへ到着した。さっそく船会社の窓口でストックホルムへのフェリー切符を買う。バイク輸送込みで152ユーロである。部屋は狭いながらも個室である。

出港の時間は9時ころである。時間がありすぎる。港の近くにあるお城を見学する。

お城

お城の中にあった模型

城の模型

部屋の数が二十数室あり歩き回ると疲れてしまった。

部屋

中には教会や死刑部屋などがあった。

やっと乗船するフェリーが到着。船尾にある大きな2個のタンクは汚水タンクか?
フェリー船尾

バイキング社のグレース号である。5万6千トンの大きな船である。
船の外観

夜9時ころ出港した。まだ明るい。
出港

狭い水路を進む
水路

回想(ヘルシンキ)2013/08/25

7月5日
昨日は新聞記者が帰ったあと宿の主人にサウナに誘われた。
サウナは半地下にあり、サウナ部屋とその外側に居間がある。

フィンランドは長い厳しい冬を過ごすためサウナに入った後は家族で暖かい居間に集まり過ごすのだろう。

地下にはパンを焼く窯もあった。サウナの炉の熱を利用するのだろう。
サウナには息子も入ってきた。サウナの温度は90度である。息子が時々炉に水をかけると熱い蒸気が部屋に立ち込める。

私は5分で降参した。宿の主人と息子は30分くらい入っていた。二人は腰にタオルを巻いて家の外に出てきた。 みんなでベンチに腰掛けビールを飲む。

夏は12時ころまで明るい。みんなで談笑して遅くまで過ごすのだ。

朝の食事を主人と食べる。これがフィンランドの朝飯の食べ物である。
朝飯

私はおかゆみたいのにイチゴジャムをかけたものを食べてみた。おいしい。

出発を宿の主人が見送ってくれた。

見送り

ヘルシンキに向かう途中ポルボーという町に立ち寄る。銀行に立ち寄り余ったルーブルをユーロに変えようとしたができなかった。ヘルシンキでしができないとのこと。

ガソリンを入れようとしたが無人のスタンドであり。機械の表示はフィンランド語とスウェーデン語でしか書いてない。ガソリンを入れに来た人に頼んで入れてもらう。不便だ。

昼過ぎにホテルに到着。ヘルシンキ駅前のホテルだ。窓からの眺めは
ヘルシンキ駅

駅前には果物屋が店を出している。果物は日本に比べ貧弱だ。
果物屋

ヨーロッパの駅は改札がない。誰でもホームに立ち入れる。
駅の構内

駅前風景
風景

風景

ヘルシンキのシンボルタワー
タワー

高層ビルがないためか落ち着いた雰囲気の町である。

回想(フィンランド入国)2013/08/24

7月4日
サンクト・ペテルブルグを出る。サンクトの外環道路にはスムーズに入れた。片側4車線あり交通量も多い。1時間ほどの走行でフィンランドへの道路にはいる。

あとはヘルシンキの標識を目標に走行するだけである。途中カフェーで昼飯を食べる。ボルシチも食い納めだ。
最後のボルシチ

午後3時ころ国境に到着する。約一時間で通過した。フィンランド側ではバイクの一時輸入関係の審査はなかった。EU内を自由に動く車等を審査しても意味がないのであろう

。強制保険は一月で300ユーロ約4万円と高い。ロシアが一月4千円程度に比べると10倍である。ヨーロッパの人の価値はロシア人の10倍ということになる。

フィンランドを走るとトナカイ注意の標識が見えた。

トナカイの標識

フィンランドは氷河に覆われていたとき地面が削られ岩ばかりの土地になったのだろう。森の木々の間隔が大きく地面に日が差し込む。したがって地面にコケ類が生えトナカイの食糧があるのだろう。

GPSで一番近いB&B(ブレックファースト&ベッド)の宿を検索する。GPSの指示に従って走ると海の近くの民家に着いた。ここはリゾート地の民宿だったのだ。
民宿

本日の夕食は予約もしてないので近くの店でパンとハムを買って食べる。
さらに近くを散歩する。風車があった。
風車

近くにはきれいな海岸がある。島は氷河で削られたせいか高さが低い。
海岸

フィンランドの農家は勤勉だ。畑がきれいに整備されている。
畑

畑

庭のハマナスに白い花が咲いていた。日本では見かけない。
白いハマナス

夕方地元の新聞記者が来た。私に取材をしたいとのこと。説明する。
エリック記者