ラジオセンター ― 2014/01/27
秋葉原駅を出て総武線のガード下の狭い路地に入ると電気部品などを売っていたラジオセンターがある。昨年の暮れにラジオセンターが廃止されるとの新聞記事があったので、現在どうなっているか見に行った。
ところが、半分以上の店舗は現在も営業をしている。取り壊しのギリギリまで営業するのであろうか?
写真の看板には「なつかしの昭和横丁」とある。昭和のラジオセンターは電気機器を自作する人にとってはまさに「聖地」であった。
展示されている部品を見てどのような機器を組み立てるか心をときめかせるものがあった場所である。
私も数十年前テレビゲームのキットをこの路地で買い組み立て、無事に動いた時の感激は今でもおぼえている。
昭和四十年代の初め、ビジネスショウの展示は晴海の展示場で行われていた。会場に行くときに乗ったタクシーの運転士さんの話は今でもソニーの名前が出るたびに思い出される。
運転手さんの話は、「昔電気関係の従業員100人ほどの会社をやっていたが、経営に失敗して今は運転手をしている。当時ソニーの前身東京通信工業が近くにあり小さな建物の二階の事務所をたびたび訪ねたこともある。当時は私の会社が東京通信工業より大きかった。今でも電気の回路を考え続けており会社の再起を図りたい。」
という話であった。運転手さんも秋葉原のラジオセンターを訪ね電気部品を眺めては会社再建を考えたことであろう。日本が発展した昭和の時代を感じる場所である。
ところが、半分以上の店舗は現在も営業をしている。取り壊しのギリギリまで営業するのであろうか?
写真の看板には「なつかしの昭和横丁」とある。昭和のラジオセンターは電気機器を自作する人にとってはまさに「聖地」であった。
展示されている部品を見てどのような機器を組み立てるか心をときめかせるものがあった場所である。
私も数十年前テレビゲームのキットをこの路地で買い組み立て、無事に動いた時の感激は今でもおぼえている。
昭和四十年代の初め、ビジネスショウの展示は晴海の展示場で行われていた。会場に行くときに乗ったタクシーの運転士さんの話は今でもソニーの名前が出るたびに思い出される。
運転手さんの話は、「昔電気関係の従業員100人ほどの会社をやっていたが、経営に失敗して今は運転手をしている。当時ソニーの前身東京通信工業が近くにあり小さな建物の二階の事務所をたびたび訪ねたこともある。当時は私の会社が東京通信工業より大きかった。今でも電気の回路を考え続けており会社の再起を図りたい。」
という話であった。運転手さんも秋葉原のラジオセンターを訪ね電気部品を眺めては会社再建を考えたことであろう。日本が発展した昭和の時代を感じる場所である。
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