回想(ウランウデへの道)2013/08/11

6月8日
チタでは無事にオイルを交換することができた。ホテルの若い従業員が車でチタの町のオイル交換できそうなところを案内してくれた。おかげで町の観光ができた。

オイル交換は結局ホテルの近くの整備屋でやってもらった。みなさんの親切に助けられた一日であった。

チタの町はホテルのある北部地域は新しくできた住宅街であり、南部地域は古い建物がある旧市街である。旧市街は路面電車が走り落ち着きのある風情が感じられる。北部地域は道路工事でほこりが舞い上がり、お世辞にもきれいとは言い難い。

写真は昨年ユーラシア大陸横断に挑戦しチタの西の村で殺害された大仁田さんの墓標である。シベリア鉄道の駅が遠くに見える。
今から思えばどうして人目につくような村の入り口にキャンプをしたかである。

昔からキャンプするときは人目につかないようにするのが原則と言われている。
湿地帯で蚊の多いところを選ぶのは考えにくい。残念だ。
大仁田氏の墓標

6月9日
朝から雨の中を走る。午後に雨があがり昼飯を食べて食堂を出ると話しかけられる。スイス人のクリス君だ。彼は自転車でウランウデ、イルクーツクを回り、さらにモンゴル、中国を、その後東南アジアを回るとのこと。2年間で回るとの話に驚く。彼とはこの後2回会うことになる。
クリス君

ウランウデが近づくとゲル(遊牧民の移動住宅)を利用した住宅があった。ウランウデの住民の三分の一がモンゴル系とか。ゲルを利用する人たちがいるのであろう。
ゲルを利用した住宅

ウランウデ駅前にはレーニンの銅像がある。

ウランウデ駅前

拡大すると
レーニン

左の看板に「ロシアの日 6月12日」と書いてある。この日は1990年に新生ロシアが発足した日であり、ロシアの休日である。