ユジノサハリンスクに到着2013/05/28

 稚内を定刻どおり9時に出港したアイスン宗谷号は日本時間午後2時(現地時間午後4時)にコルサコフ(旧大泊)に入港した。

 しかしながら、税関検査に手間取り、外に出られたのは、現地時間7時半であった。

大変だったが、無事にバイクを受け取りユジノを目指して走り始めたが、どうも道が違う。
道を尋ねるが、みなさん早口のロシア語で話すものだから、さっぱり聞き取れない。

海沿いの道をたどればユジノにいけるはずだとの思いで海岸道路を北に上る。途中で人に聞いて間違いないことで安心して走り始めた。

コルサコフからユジノまでの道は舗装されているが、たくさん穴の開いている。
ユジノで予約したホテルを探すが見つからない。人に聞き聞きやっとたどり着いた。大通りから少し引っ込んだ場所にあるため見つけることが困難だった。

 初めて外国の道を走るのも最初は緊張するが、右側走行にも慣れ周りの景色を見る余裕もできた。

景色は北海道とそんなに違わないが、みなさん相当なスピードでぶっ飛ばすのには驚く。

穴ぼこだらけの道であんなに飛ばすのは日本人ではあり得ないであろう。

写真は宗谷海峡の船上で見た、珍しい気象現象である。さかさま虹である。
N46-57-38.6 E142-44-27.0

ユジノ巡り2013/05/29

旅順攻略大砲
サハリンで初めてガソリンを入れた。料金先払いで予定したガソリンが少ない場合金を返してくれる。金を確実にとるためだろう。

ユジノに二晩も泊まったのは二つ目的があった。一つはレジストレーション(入国から72時間以内に警察に届が必要)やらなくても大丈夫との話もあるが、後で問題になってもいけないからやることにした。

昨夜フロントでお願いするとレジストレーションなんて知らないと言われ困ったことになったと思ったが、今朝別の女性に言うと既にできているとのこと。
インターネットでホテルを申し込む備考欄にレジをお願いすると書いていたため、やっていてくれたのであろう。一安心である。
 
二つ目はUSBモデムを買うことである。昨夜ユジノに来る途中にあった大きなショッピングモールの電気店に行き申し込んだ。店の若者が数人集まりインストールを試みるが、できない。

私のPCが最新式のためソフトのインストールができないようだ、ついに諦めることにした。
通信が難しい場面が多くなるが、しょうがない。

写真はサハリン州立博物館の庭に展示してある大砲である。
みなさん写真で見たことがあると思うが、旅順攻撃に用いられた大砲である。(追伸、 旅順攻撃の大砲は28cm砲でした。この大砲は小さすぎます。)

日本国内では見たことがない。

日本海海戦が始まったのが昨日とか?

サハリン州立博物館は昔の日本統治時代の建物である。

冷やしていないビール2013/05/30

ユジノ駅
昨日の夕方駅の近くを散歩した。バイクで走るまわるだけでは町の様子がつかめない。散歩すれば新しい発見があるに違いない。駅前は公園となっていて家族ずれが噴水の側のベンチでだべっている。

高さ10メートルはあろうかというレーニンの銅像が立っている。ロシアになってもレーニンはまだ英雄なのであろう。

近くにはキオスクがたくさんあり、飲み物、おやつの類をうっている。私もコーラを買ったが、冷えてない。日本では考えられないことである。日本円で200円近くと高い。

写真はユジノ駅である。大きな看板はロシア語でただ駅と書いてある。
これも日本では考えられない。両側に時計があり、左は現地時間、右はモスクワ時間である。列車がモスクワにいくはずがないのにモスクワ時間を表示する感覚がわからない。

帰りにホテルの近くのマガジン(家族でやっている小さな商店、キオスクより大きく酒類もおいている。)ビールとつまみを買った。英語で「ビアー」と言っても通じない。私もロシア語でビールを何というか忘れて思い出せない。そこで「あさひ」というと一発で通じた。

このビールも冷やしてない生暖かいものであった。
500mlで約400円 高いなーの感想です。

本日は雨である。テレビで天気予報は放送していない。日本では天気予報は放送の中核番組であろう。

本日は、出発を遅くしてのんびり行こう。

追伸
ホルムスクに着いた。雨も途中で止み、絶好のドライブ日和となった。
ホルムスクでは忘れてならない事件がある。真岡郵便局事件である。

68年前ソ連軍と戦争状態となり、真岡にソ連軍が上陸した直後、郵便局の女性職員7名?が自決した事件である。「氷雪の門」でご承知のことと思うが、我々ができることは忘れないことである。かっての郵便局はないが新しくつくられたアパートの一階が現在も郵便局として使われていた。

もう一つは熊笹峠の戦いである。今日もホルムスクに来る途中通過したが、ソ連軍が豊原(ユジノ)に侵攻するのを日本軍の守備隊が激戦を繰り広げたところである。この激戦によりソ連軍の侵攻が遅れ、結果として北海道がソ連軍の施政下なることはなかったと言われている。

この戦闘がなかったなら、北海道は東ドイツと同じ運命になったといわれている。この人たちのこと忘れてはいけないであろう。

熊笹峠はかってT34戦車が展示されている写真を見たが、本日は気が付かないで峠を越えてしまった。峠には雪が残っていた。

大陸のワニノに行く船便も予約した。予定どおり出港するのか気になる。USBモデムも無事に動くようになった。これで携帯がつながるところでは通信が可能となった。一安心である。

あしたの船便は一日程度かかるであろう。
次のブログはワニノからである。それからホルムスクのビールは冷えていた。USBモデムがつながったのを記念して一人乾杯をした。うまかった。

N47-02-40.9 E142-02-38.8