はじめてのプログ2013/05/17

伊能忠敬のお墓
 昔から「楽隠居」とはよく聞く言葉であるが、素隠居(すいんきょ)とは聞きなれない言葉ではないか?

Wikipediaで調べると岡山県のさる神社のお祭りに出てくる人のことみたいなことが書いてある。

昨年NHKの番組の「BS歴史館」で幕末に正確な日本地図を作った伊能忠敬の番組をやっていた。

伊能忠敬は家業に精をだし、50歳で隠居したときには現代の金で1億円ほどお金に余裕があり、その後、江戸にでて高橋至時(よしとき)の門下に入り、天文学、測量などを学んだという。

こういう人を「楽隠居」と言うそうだ。お金のない状態で隠居せざるを得ない人を「素隠居」と言うそうである。

ということは私は素隠居に分類されることになるのであろう。というわけで、プログの名前を「素隠居日記」とした。

写真は台東区東上野の源空寺にある伊能忠敬のお墓である。伊能忠敬の横には師である高橋至時(たかはしよしとき)の墓がある。
墓の横にある高橋至時の説明文を読むと41歳の若さで亡くなっている。伊能忠敬が高橋至時に学んだ期間はほんの4~5年であろう。

短期間で学んだことを生かし、54歳という高齢から大きな事業をやり遂げたことで「伊能忠敬は中年の星」と言われる所以であろう。ただ感心するばかりである。

祭り2013/05/18

東京の下町は本日祭り一色であった。浅草地区は三社祭りで賑わったし、その他の地区も特色ある祭りで賑わった。

私の住んでいる地区も若い人が神輿を担いで町内を練り歩き、お年寄りも神輿の傍で祭りの雰囲気を楽しんでいる様子が伺えた。

祭りは江戸時代の昔は領民の施政に対する不満のガス抜きであるとの論調が見受けられる。しかし、そうであろうか?

祭りは地区の最大のプロジェクトであったし、若者が一致団結してそのプロジェクトをやり抜くには若者にそれなりの指導力が無くてはできないであろう。
祭りは地区の次世代の指導者を選ぶ儀式であったに違いない。

地区の指導者が祭りというプロジェクトを通じて次の世代の指導者の選任を行えば自冶が可能となり、その地区の安定につながる。
支配する側にとっても都合のいい話であったのではなからろうか?

いずれにしろ、祭りは皆を熱狂させるものであり、町内の融和に役立つものであることは間違いないであろう。

難しい理屈は別として、みんなで祭りを楽しむのが賢明な道であろう。

祭り その二2013/05/19

祭り
 夏祭りは本日が最終日である。各町内神輿と神社神輿が繰り出して祭りは最高潮となる。

若者は入れ替わり立ち代わり神輿を担いで精神を一点に集中しているのだろう。真剣さが伝わってくる。

祭りが終わり若者が年配者に礼儀正しく挨拶しているのをみると、日本の将来も大丈夫だろうと希望が感じられる。

小さい子供も神輿を担ぐ若者たちを大きく開いた目で見つめていた。この子供たちも将来はきっと担ぎ手になってくれるのだろう。

楽しい気持ちになれた一日であった。

外国為替手数料2013/05/20

ルーブルとユーロ
 本日は朝から雨模様となった。梅雨の走りらしい。近隣の人との挨拶も昨日の祭りが雨でなくて良かったというものであった。

近く外国旅行をしようと外国為替交換所に行ってきた。ロシアルーブルが1ルーブル3.9円であった。為替相場から計算すると手数料が20パーセントほど取られている。

同じ交換所で1ユーロを交換すると同じく手数料が3.5パーセントである。通貨によってこんなにも手数料が違う原因はなんであろうか?

ルーブルみたいに軍事力はあっても経済力のない国家の評価を示しているのか、それとも日本国でのルーブルの需要がないため、保管する間の価値の低下に対する保険料が高いのか、暇があれば各国の通貨の交換手数料を比較してみたいものである。

水連2013/05/21

水連の花
本日は24節季の小満の日に当たるとか? 小満の意味もよくわからないが、下町の祭りが終われば本当に夏になったことをを感じる。

本日は祭りの裏方を務めた町内会の方の苦労さん会があった。
みなさん自分の仕事の合間をぬって祭りの実行役を引き受け、無事終わらせたことは本当にご苦労様と言いたい。
ありがとうございました。

 写真は北茨木十王の鵜の岬の公園に咲いてた水連である。
清楚な感じがして私の好きな花である。