回想(ウランバートル)2013/08/14

6月12日
ここ数日バイクのクラッチ操作で中立位置がうまくできない。バイクの整備をしなくてはならないが何処で整備ができるか全く知識がない。まずはウランバートルの日本センターに行って聞いてみることにした。

日本センター
日本センター

日本語のできるモンゴル人と数人の職員が集まり話し合った結果「ZIGZAG」という自動車関係部品販売店を教えてもらった。

店に行くとたまたま日本の自動車メーカーに勤めていた日本人の方に会った。彼に日本車の整備をするところを紹介してもらう。

その整備工場には日本のメーカーで働いていたモンゴル人がいてバイクを見てもらう。もちろん日本語ペラペラだ!

結果、バイクを倒したときにクラッチハンドルがずれたためと判明。修理してもらう。
無料でやってもらった。ありがたい。

6月13日
ウランバートルの市内観光をする。
まずはスフバートル広場である。スフバートルは1920年ころ中国からモンゴルが独立したときの英雄である。

スフバートルの像
スフバートル像

この広場の大きな建物にはジンギスハンが祭られている。ジンギスカンは今でもモンゴルの英雄である。なんでこの広場がジンギスハン広場と言わないのであろうか?

ジンギスハンが作った元帝国はロシアのモスクワも占領した。ロシアにとってジンギスハン一族は憎むべき侵略者なのである。

現在のモンゴルは人口300万あまりであり。歴史上ロシアの影響を受け続けている。ロシアに対しジンギスハンを表に出すのがはばかられるためと言われている。

ジンギスカンの像
ジンギスカン像

ガンダン寺の門
ガンダン寺の門

ガンダン寺
ガンダン寺

中には10メートル以上はある仏像が立っている。
狛犬

お寺に狛犬?
モンゴル文字

モンゴル文字
現在のモンゴルではロシアと同じキリル文字が用いられている。
マニ車

ラマ教寺院ではマニ車がある。この筒を一回回すとお経を一回読んだのと同じ功徳があるとか?

ウランバートル市内には日本の援助で作られた橋があった。

援助の橋

ウランバートルでは漢字を見ることはなかった。中国に対する反感が感じられる。
カラオケの看板はたくさん見かけた。

回想(ウランバートルへの道)2013/08/13

6月11日(その二)

モンゴルの草原地帯を走ると遊牧民の家であるゲルが見えてくる。ゲルには衛星放送のアンテナと太陽電池が装備されている。大草原の世界ではテレビが唯一の娯楽かもしれない。
ゲル

大草原の道はまっすぐ伸びている。
大草原の道
モンゴル北部では緑の草原ではない。まだ春が来ていないのだ。

草原

途中に塩湖があった。川が流れ込んでも出る川がなく、すべて蒸発するのだろう。
塩湖

大草原の道
草原の道

南に下ると緑の草原となる。

緑の草原

同じく緑の草原

緑の草原

バイクと写す。

バイクと

一本道
一本道

ウランバートルが近くなる。
ウランバートルの近く

モンゴルの大草原を走り抜いた一日でした。

回想(モンゴル国境へ)2013/08/12

6月10日
ウランウデのホテル探しは苦労した。インターネットで予約したホテルの住所に行ってみると写真のような鉄の扉の場所であった。
ホテル入り口

通りがかりの人に相談すると近くの大きなホテルのフロントで相談することを勧められた。

さっそくフロントの女の人に相談するとあちこち電話してくれた。そしてしばらく待てば人が迎えに来るとのこと。5分ほどすると一人の老婦人が迎えに来た。

彼女の案内で先ほどの鉄の扉の前に来た。彼女は扉についているボタンを操作してさらに携帯電話を操作すると鉄の扉のロックが解かれ扉をあけることができた。

さらに彼女の家の鉄の扉を開けるとそこはマンションであった。大きな部屋が4部屋ほどある。このホテルは2部屋を長期滞在型の客に貸し出していたのだ。

ホテルを予約するとき「ーーーホームステイ」と書いてあったのを思い出した。
ロシアの裕福な家はこのように部屋を貸して年金生活を豊かにしているのだ。

朝食を食べ残すと昼の弁当にと包んでくれた。
さっそくモンゴル国境へ出発する。途中の景色がすばらしい。
ウランウデ郊外

天空の湖があった。 朝飯の残り弁当がおいしかった。
天空の湖

国境のロシア側の町キャフタの教会
キャフタの教会

6月11日
モンゴルに入国しさっそく昼飯だ。私の前にモンゴル人が頼んだ料理と同じものを注文。食べるとひつじの匂いがきつくて半日苦労した。
昼食

モンゴル側からロシア側を見る。教会が目につく。
ロシア側を見る

モンゴル側の村の入り口にはオボーがあり旅の安全を祈る。
オボー

このようなラマ教の塔もある。
ラマ教の塔