三の酉 ― 2013/11/27
本日、11月27日は三の酉の日である。台東区の千束にある鷲神社(おおとりじんじゃ)は平日にもかかわらず大勢の参拝者で賑わった。
神社の境内や参道には飾り立てた熊手を売る店が軒をならべてお客を呼び込んでいる。11月に三の酉がある年は火事が多いとの言い伝えがあるが、テレビ放送によるとデータ上火事が多くはないそうだ。
浅草の雷門の大きな提灯も新しいものに取り換えられたとか、浅草の山門付近も熊手をかかえた多くの人が見かけられた。景気の回復を期待したいところである。
明治の女流作家樋口一葉も出世作”たけくらべ”を書いたときに住んでいたところは鷲神社の近くである。このため鷲神社の様子なども”たけくらべ”に登場する。
”たけくらべ”に書かれている鷲神社のくだりは、「知らずや霜月酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給う是ぞ熊手の下ごしらえといふ」である。
つい、熊手を抱えて帰る人を見ると欲深様を思い出して笑ってしまう。
写真は境内の店の様子である。なお熊手のことを”かっこみ熊手”と言うそうである。
神社の境内や参道には飾り立てた熊手を売る店が軒をならべてお客を呼び込んでいる。11月に三の酉がある年は火事が多いとの言い伝えがあるが、テレビ放送によるとデータ上火事が多くはないそうだ。
浅草の雷門の大きな提灯も新しいものに取り換えられたとか、浅草の山門付近も熊手をかかえた多くの人が見かけられた。景気の回復を期待したいところである。
明治の女流作家樋口一葉も出世作”たけくらべ”を書いたときに住んでいたところは鷲神社の近くである。このため鷲神社の様子なども”たけくらべ”に登場する。
”たけくらべ”に書かれている鷲神社のくだりは、「知らずや霜月酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給う是ぞ熊手の下ごしらえといふ」である。
つい、熊手を抱えて帰る人を見ると欲深様を思い出して笑ってしまう。
写真は境内の店の様子である。なお熊手のことを”かっこみ熊手”と言うそうである。
鎮火祭 ― 2013/11/06
近くの神社で鎮火祭が執り行われるとのこと、見物に出かけることとした。
神社は「秋葉神社」という。神社の由来は明治元年、現在の秋葉原駅の付近が大火にあったため、明治天皇の御母が明治天皇にお願いして、皇居の紅葉山にあった神社を現在の秋葉原駅付近の火除地に移したとのこと。
明治21年、現在の秋葉原駅を作るために秋葉神社を現在の所在地、台東区松が谷に移したものである。
秋葉原駅の名称は秋葉神社から由来しているとのこと。毎年立冬の前日に鎮火祭を行うそうである。
今年の11月は三の酉があり、火事の多い年ともいわれ、多くの人々が鎮火祭に参加した。
写真は神社の境内で行われる火渡りの儀式である。私も火渡りを行ったが、やはり緊張する場面であった。
神社は「秋葉神社」という。神社の由来は明治元年、現在の秋葉原駅の付近が大火にあったため、明治天皇の御母が明治天皇にお願いして、皇居の紅葉山にあった神社を現在の秋葉原駅付近の火除地に移したとのこと。
明治21年、現在の秋葉原駅を作るために秋葉神社を現在の所在地、台東区松が谷に移したものである。
秋葉原駅の名称は秋葉神社から由来しているとのこと。毎年立冬の前日に鎮火祭を行うそうである。
今年の11月は三の酉があり、火事の多い年ともいわれ、多くの人々が鎮火祭に参加した。
写真は神社の境内で行われる火渡りの儀式である。私も火渡りを行ったが、やはり緊張する場面であった。
バイクが帰ってきた ― 2013/10/17
7月の11日にデュッセルドルフ郊外の日系運送会社に預けたバイクが日本に着いた。到着地は横浜港の山下埠頭の保税倉庫である。
通関手続きは終わっていて持ち帰るだけである。ところがガソリンタンクは空で、オイルも減っている。バッテリーは大丈夫そうだ。
引き取った後300メートルほど離れたガソリンスタンドまでバイクを手押しで持っていくこととなった。ガソリン、オイルを入れ無事エンジン起動もできた。
通関手続きは終わっていて持ち帰るだけである。ところがガソリンタンクは空で、オイルも減っている。バッテリーは大丈夫そうだ。
引き取った後300メートルほど離れたガソリンスタンドまでバイクを手押しで持っていくこととなった。ガソリン、オイルを入れ無事エンジン起動もできた。
横浜から自宅まで運転し無事に到着した。バイクは東京出発からドイツまで一度も清掃をしてない。というより清掃するところが無かったのだ。寒い地域を走ったので凍結を防ぐためホテルなどの屋外には水道設備は無かった。
バイクはシベリアの悪路の泥でよごれたままである。明日から数日かけて清掃してやらなくてはいけない。そのあと整備に出してクラッチをはじめ全般的に調整をする必要がありそうだ。
写真の小さな馬の置物はウランウデで宿泊したオリガおばさんから送ってもらったものである。
ウランウデに宿泊したときオリガおばさんと浅草の話になり、オリガおばさん浅草で買った帽子が気に入っているとの話に、帰ったら帽子を探して送る約束をした。
彼女がほしがっていた帽子を見つけ送ってあげたらこの写真の置物を送ってきたのだ。
ロシアでは物を送っても無事に着くか心配しなくてはいけない。無事に着いたのを確認できて一安心だ。
ところが、置物の箱に入っていた手紙が手書きで、しかも達筆なロシア文字であるので読めない。ロシア文字(キリル文字)の草書書きなのだ。
オリガおばさんには広重の浮世絵のはがきで置物が無事に着いた旨知らせた。
この馬の置物はブリヤート族の民芸品なのかな?
ブリヤート族はモンゴル系の部族でモンゴルの北部地域から一部ロシアにかけて住んでいる。ウランウデはロシアのブリヤート共和国にある。
雅楽と足利学校 ― 2013/09/23
夕方台東区下谷二丁目の小野照崎神社で行われた雅楽と足利学校の夕べに行ってきた。
小野照崎神社は足利学校を設立した小野篁公(おののたかむらこう)をお祀りしている神社である。秋の彼岸の時期に足利学校の夕べとして神社に関する講演会を開催している。
今年は「伊勢神宮の建築」についての山田講師による講演が行われた。日本の神社建築の建築様式や伊勢神宮の内宮および外宮の建築について詳しい説明が行われた。
そのあと小野雅楽会による雅楽の演奏が行われた。
神社の境内の木々に囲まれた素晴らしい環境での演奏に観客みんなが古(いにしえ)の優雅な舞踊に魅せられた夜であった。
小野照崎神社は足利学校を設立した小野篁公(おののたかむらこう)をお祀りしている神社である。秋の彼岸の時期に足利学校の夕べとして神社に関する講演会を開催している。
今年は「伊勢神宮の建築」についての山田講師による講演が行われた。日本の神社建築の建築様式や伊勢神宮の内宮および外宮の建築について詳しい説明が行われた。
そのあと小野雅楽会による雅楽の演奏が行われた。
神社の境内の木々に囲まれた素晴らしい環境での演奏に観客みんなが古(いにしえ)の優雅な舞踊に魅せられた夜であった。
赤い衣装の雅楽は唐から伝わったとのこと。
薄い青色の衣装は皇居で行われる雅楽から伝わったとの説明があった。
すばらしい!













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