回想(オロロンライン) ― 2013/08/01
回想(出国) ― 2013/08/02
回想(ユジノサハリンスク、ホルムスク) ― 2013/08/03
5月29日
ユジノサハリンスクは戦前旧豊平で樺太支庁が置かれた所である。
戦前の建物としては樺太支庁郷土博物館(現在サハリン州立郷土博物館)が残っている。
ユジノサハリンスクは戦前旧豊平で樺太支庁が置かれた所である。
戦前の建物としては樺太支庁郷土博物館(現在サハリン州立郷土博物館)が残っている。
前庭には日露戦争の旅順203高地攻撃に使われたと思われる大砲が展示されている。
街中にはロシア正教の教会があった。
5月30日
ホルムスク(旧真岡)に移動。終戦時真岡郵便局で7名の女子職員が自決した。
現在、真岡郵便局跡にはロシアの郵便局がある。
5月31日
乗船待ちの時間、船会社の女の子と稚内から同じ船で来たドイツ人
船の貨物区域。鉄道貨車を全部降ろした後に車、バイクをフェリーに積み込む
桟橋は木で出来ている。鉄道はロシア本土と同じ広軌、ただし、ホルムスクを通る鉄道は旧日本国鉄時代のもので狭軌である。桟橋を出たところで積み替える?
回想(大陸上陸) ― 2013/08/04
6月1日
フェリーは早朝ユーラシア大陸の入口であるワニノに接岸した。船会社の事務所に立ち寄り港域を出るための書類を受け取る。ロシア軍?が管理しており途中2か所で検問を受け港域を出る。これら手続きはホルムスクの船会社の事務所で知り合い船の寝室も一緒だったロシア人が親切に教えてくれた。
ワニノの港と我々を運んでくれたサハリン8号である。サハリン8号は砕氷船であった。
フェリーは早朝ユーラシア大陸の入口であるワニノに接岸した。船会社の事務所に立ち寄り港域を出るための書類を受け取る。ロシア軍?が管理しており途中2か所で検問を受け港域を出る。これら手続きはホルムスクの船会社の事務所で知り合い船の寝室も一緒だったロシア人が親切に教えてくれた。
ワニノの港と我々を運んでくれたサハリン8号である。サハリン8号は砕氷船であった。
いよいよワニノの町を出てシホテアリニ山脈を目指す。景色は大陸らしく雄大だ。
高地に差し掛かると道のわきには雪が残っていた。気温は高く20度くらいか?
ワニノから約110kmは舗装道路であるが、途中約110kmは未舗装道路や工事中の道路であり、走行に苦労する。アムール川側の約80kmは舗装されていた。
写真はアムール川の近くのT字路。左に曲がるとハバロフスクへの道路である。
未舗装の小さな道路をまっすぐ進むとアムール川に行き着く。バイクを停めると猛烈な蚊の攻撃を受ける。
ハバロフスク方面に数十キロ進むと宿があった。宿ではウラジオストックから来たという船員の一団と一緒になり酒を飲む。休暇で田舎に帰る途中だそうだ。
回想(ハバロフスクへ) ― 2013/08/05
6月2日
本日はハバロフスクへ向かう。距離は200km弱であるからのんびり走ろう。
ハバロフスクの近くになると道の両側が洪水みたいな風景となる。アムール川が増水期となり水があふれているのだ。
本日はハバロフスクへ向かう。距離は200km弱であるからのんびり走ろう。
ハバロフスクの近くになると道の両側が洪水みたいな風景となる。アムール川が増水期となり水があふれているのだ。
途中ナナイ族の村に立ち寄る。アイヌの人々は12世紀ころナナイ族から分かれたといわれている。
十数戸の家がアムール川の川岸に建っている。村には小さな博物館があり、魚の皮で作った靴などを展示してあった。
日本語をしゃべる女の人がいるのにびっくり。
日本人の観光客も来るのであろう。
ハバロフスクの町に入る手前に墓地があり、その一角に戦後ソ連に抑留された人の墓もある。
草が生い茂っているのが気になる。
ハバロフスクでは500人以上の人が亡くなったといわれているが、墓の数が少ない。
昭和20年冬に大勢の人が亡くなり、地面が凍っているため墓を作ることが出来なくてアムール川に流したという話は本当なのであろうか?
ハバロフスクでは500人以上の人が亡くなったといわれているが、墓の数が少ない。
昭和20年冬に大勢の人が亡くなり、地面が凍っているため墓を作ることが出来なくてアムール川に流したという話は本当なのであろうか?
墓場の入り口には花屋が並んでいた。ロシアの人々は墓に花を供えるのが好きなのだ。
数日出かけるのでブログもお休みです。



































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