回想(オロロンライン) ― 2013/08/01

帰国してから写真の整理をしなくてはと思いつつ時差ボケと疲れでほったらかしのままであった。ようやく整理する気になった。

ここでは、旅行中に撮りだめした写真を若干の解説を加えて紹介することにしよう。オロロンラインとは小樽から稚内までの日本海沿いの道路の俗称である。

小樽から走り始めると気温が10度程で寒い。あわててセーターを着込み、さらにウィンドブレーカを着込んだ。鼻水をタオルで拭きながら走る。

稚内に無事到着(5月27日)
稚内到着

終戦後、樺太からの引き揚げ船がソ連潜水艦に攻撃され大勢の人が亡くなった。
説明

説明文
説明


松浦武四郎の像
松浦

見張り番屋

見張り番屋


説明文
説明


花田家番屋
花田ニシン番屋

小平ニシン番屋
おびらニシン番屋


日本海の夕日がきれいである。(5月26日)
夕日


回想(出国) ― 2013/08/02

5月28日
いよいよロシアへ出国する日がきた。早めに稚内国際ターミナルに行き、通関の準備(荷物をバイクから取り外す等)をする。やはり、少し緊張する。

国際ターミナル。船は乗船予定の「アインス宗谷」
国際ターミナル



いよいよ出港
出港



船内には缶ビールが100円(免税価格)の自動販売機
免税ビール



日露中間地点で国境通過証明書をくれる。
国境通過証明書



途中で「大きな日傘が出ています。」との船内放送。まるで逆さ虹だ。
逆さ虹

コルサコフ(旧大泊港)入港
コルサコフ

コルサコフでは税関検査で時間がかかる。原因は稚内から乗船したドイツ人の四輪車の製造年が古く、ロシアの規則(20年以上古い車はロシア輸入禁止?)に引っかかったためのようだ。私のバイクの検査は問題なし。

回想(ユジノサハリンスク、ホルムスク) ― 2013/08/03

5月29日
ユジノサハリンスクは戦前旧豊平で樺太支庁が置かれた所である。
戦前の建物としては樺太支庁郷土博物館(現在サハリン州立郷土博物館)が残っている。
旧樺太支庁郷土博物館

前庭には日露戦争の旅順203高地攻撃に使われたと思われる大砲が展示されている。
大砲

街中にはロシア正教の教会があった。

教会

5月30日
ホルムスク(旧真岡)に移動。終戦時真岡郵便局で7名の女子職員が自決した。
現在、真岡郵便局跡にはロシアの郵便局がある。
郵便局

郵便局

5月31日
乗船待ちの時間、船会社の女の子と稚内から同じ船で来たドイツ人
船会社の女の子とドイツ人

船の貨物区域。鉄道貨車を全部降ろした後に車、バイクをフェリーに積み込む
ロシア本土行のフェリーに積み込む

桟橋は木で出来ている。鉄道はロシア本土と同じ広軌、ただし、ホルムスクを通る鉄道は旧日本国鉄時代のもので狭軌である。桟橋を出たところで積み替える?
桟橋


回想(大陸上陸) ― 2013/08/04

6月1日
フェリーは早朝ユーラシア大陸の入口であるワニノに接岸した。船会社の事務所に立ち寄り港域を出るための書類を受け取る。ロシア軍?が管理しており途中2か所で検問を受け港域を出る。これら手続きはホルムスクの船会社の事務所で知り合い船の寝室も一緒だったロシア人が親切に教えてくれた。

ワニノの港と我々を運んでくれたサハリン8号である。サハリン8号は砕氷船であった。
ワニノ港

サハリン8号

いよいよワニノの町を出てシホテアリニ山脈を目指す。景色は大陸らしく雄大だ。
大陸の道

高地に差し掛かると道のわきには雪が残っていた。気温は高く20度くらいか?
雪の残る道路

ワニノから約110kmは舗装道路であるが、途中約110kmは未舗装道路や工事中の道路であり、走行に苦労する。アムール川側の約80kmは舗装されていた。

写真はアムール川の近くのT字路。左に曲がるとハバロフスクへの道路である。
未舗装の小さな道路をまっすぐ進むとアムール川に行き着く。バイクを停めると猛烈な蚊の攻撃を受ける。
リドガのT字路

ハバロフスク方面に数十キロ進むと宿があった。宿ではウラジオストックから来たという船員の一団と一緒になり酒を飲む。休暇で田舎に帰る途中だそうだ。
ウラジオストックの船員たち

回想(ハバロフスクへ) ― 2013/08/05

6月2日
本日はハバロフスクへ向かう。距離は200km弱であるからのんびり走ろう。

ハバロフスクの近くになると道の両側が洪水みたいな風景となる。アムール川が増水期となり水があふれているのだ。
まるで洪水

途中ナナイ族の村に立ち寄る。アイヌの人々は12世紀ころナナイ族から分かれたといわれている。

十数戸の家がアムール川の川岸に建っている。村には小さな博物館があり、魚の皮で作った靴などを展示してあった。

日本語をしゃべる女の人がいるのにびっくり。
日本人の観光客も来るのであろう。
ナナイ族の村

魚の皮の靴

ハバロフスクの町に入る手前に墓地があり、その一角に戦後ソ連に抑留された人の墓もある。
抑留者の墓
草が生い茂っているのが気になる。
ハバロフスクでは500人以上の人が亡くなったといわれているが、墓の数が少ない。
昭和20年冬に大勢の人が亡くなり、地面が凍っているため墓を作ることが出来なくてアムール川に流したという話は本当なのであろうか?
墓

墓場の入り口には花屋が並んでいた。ロシアの人々は墓に花を供えるのが好きなのだ。

花屋


数日出かけるのでブログもお休みです。